スポーツとしての競輪

競輪というと公営ギャンブルの対象という印象が強いものの、それと同時にれっきとしたスポーツ競技でもあるのが事実です。公営ギャンブルと一体になった競技であるだけに、競輪は敢闘精神欠如や敗退行為に対して大変厳格な立場に置かれるスポーツであります。観客を欺いて勝敗を操作する行為に及んだ選手に対しては、競技そのものに関する行政法による処罰が下されます。裏を返せば、それだけに真剣勝負を目にすることが期待できるスポーツと言えるのであります。競輪のレースの舞台に立つためには、例年10倍前後の倍率を記録する入学試験を潜り抜け、専門の養成学校での約1年間の厳しい訓練を受けた末に、選手資格検定に合格する必要があります。そうした厳しい課程が設けられるからこそ、競技としての質を高く保つことができると考えることが可能なのです。この部分にスポーツとしての魅力を感じる者がファンの中には存在します。選手デビュー後も9クラスのうちのいずれかに格付けされ、最下層の選手の中でとりわけ成績不良の選手は強制的に選手登録を抹消されます。日本の競輪は公営競技であり、それ故に競技団体は日本においてただ1件しか存在しません。登録抹消が選手生命終了を意味することで選手は否応なしに競技に対して必死になるのであり、こうした点もやはりスポーツとして特筆されるところであります。競技団体が他に存在しない点は不安だけでなく権威をもたらす効果もあり、この部分を誇りとして考える選手やファンがいることもまた事実として認められます。競輪というのは自転車を使用したスポーツであり、競技用の自転車に興味を持つこともまた一つの趣きと言えます。自転車に詳しければスポーツに疎い場合であっても競技を理解することができるという点はやはりこの競技ならではと言うべきところであります。競輪はレース自体に対しても魅力を見出すことが十分に可能であり、概して自身の体力と相談して勝負所を見極めることや他の選手との駆け引きを行うことなど戦略が重要視されるスポーツとしての認識が一般的であります。戦略は実際のレースを観戦することで初めて分析することが可能であり、戦略に競技としての醍醐味がある以上はそれを目当てに観戦するファンが生まれる可能性も必然と有することになります。身体能力だけではおよそ勝負の行方が分からないだけに、レースを観戦する意義が生まれると言って差し支えがありません。